暗い金庫の中、埃と蜘蛛の巣をかぶった抗生物質の薬瓶(赤いラベル)が温存されている。左奥には霞んだ病室の点滴と寝たきりの患者。効くのに使われない薬と、その薬を待つ患者の対比。
闇イズム── FILE.10 静かに効かなくなる薬

抗生物質は
もう効かなくなっている

すでに毎年100万人以上が薬の効かない感染症で亡くなっています。エイズやマラリアより多い数です。
それなのに新しい抗生物質はほとんど作られません。
これは未来の話ではありません。もう始まっている静かな破滅です。

闇イズム編集部

もう効かなくなっている

まず結論からお話しします。抗生物質が効かない時代はもう来ています。未来の予言ではありません。

2019年に薬剤耐性が直接の原因で亡くなった人は世界で127万人。耐性が関わった死まで広げると495万人にのぼります。

用語:薬剤耐性(AMR)

抗生物質が菌に効かなくなること。薬を生き残った強い菌が増えて広がりやがて同じ薬が通用しなくなります。

その年の耐性菌はエイズよりもマラリアよりも多くの人を殺していました。

なのにほとんど報道されません。その理由は死に方にあります。

薬剤耐性(AMR)の死者
127万
2019年薬剤耐性が
直接の死因になった人(世界)
495万
薬剤耐性が関わった死者
(同年・直接死を含む)
1分に3人
2025〜2050年に薬剤耐性で
死ぬと予測される速度

桁を間違えてはいません。これは将来の最悪シナリオではなくすでに起きた一年ぶんの実測値です。

暗い金庫の中、埃と蜘蛛の巣をかぶった抗生物質の薬瓶(赤いラベル)が温存されている。左奥には霞んだ病室の点滴と寝たきりの患者。効くのに使われない薬と、その薬を待つ患者の対比。
効く薬は「最後の切り札」として金庫に温存される。奥の病床には、その薬を使われないまま待つ患者がいる。

死因に名前が載らない

これだけ殺していてなぜ騒がれないのでしょうか。答えは死因の記録のされ方にあります。

耐性菌で亡くなるとき死亡診断書に「抗生物質が効かなかった」とは書かれません。

書かれるのは肺炎や敗血症や尿路感染症といったありふれた病名です。

数日の抗生物質で治っていた感染症が今は治らず人を殺します。しかし記録の上ではただの肺炎死として処理されてしまうのです。

静かに進む破滅はこうして起こります。派手な爆発ではなくありふれた死因の影に隠れて一人ずつ増えていきます。

「効かなかった」はどこにも記録されません。だから誰も増えていることに気づけないのです。

薬は作れるが作らない

ここからが本当に腹立たしいところです。耐性菌に効く新薬は技術的には作れます。ただ作られないだけなのです。

見捨てられた製薬会社の研究室。埃と蜘蛛の巣をかぶった実験台に放棄された薬瓶やカプセル、止まった分析機器、奥の扉には赤白の封鎖テープと退去通知。新薬を作れる設備があるのに撤退した=市場が手を引いた様子。
新薬を作る設備はある。だが会社は撤退した。作れるのに作らない――それが市場の選択だ。

2018年にアカオジェンという会社が耐性菌向けの新しい抗生物質をFDA承認まで漕ぎ着けました。教科書通りの成功でした。

その10ヶ月後に会社は倒産しました。承認された薬の1年の売上は100万ドルにも届きませんでした。

翌年にはメリンタという会社も潰れました。FDA承認薬を4つも持っていたのにです。

理由は単純で残酷です。新しい抗生物質は「最後の切り札」として温存されます。温存されれば使われません。使われなければ売れません。売れなければ作った会社が潰れます。

だから大手はとうに抗生物質から手を引きました。もっと儲かる薬のほうへ。過去10年に上場した抗生物質の会社12社のうち生き残ったのは5社だけです。

耐性菌の新薬

FDA承認まで取っても1年の売上は100万ドル未満。作った会社は倒産。最後の切り札ゆえ温存され売れません。

毎日のむ慢性薬

同じ年ある自己免疫疾患の薬は桁違いの売上を上げ続けました。毎日のむから売れます。命より継続が儲かるのです。

いちばん必要な薬ほど作ると会社が潰れます。市場はそういう設計になっているのです。

これから倍に増える

このまま放っておくとどうなるのでしょうか。予測はすでに出ています。

直接死は2021年の114万人から2050年には191万人へ。年あたり7割増える計算です。

2025年から2050年までの累計で薬剤耐性が直接の死因になる人は3900万人。関連死まで含めればもっと多くなります。

1分に3人。この記事を読み終える数分のあいだにも何人かが効くはずだった薬の不在で亡くなります。

特に高齢者です。70歳以上の耐性菌死はすでに30年で8割増えました。高齢化が進む国ほどこの破滅は速く進みます。

これは戦争でも新型ウイルスでもありません。ただ既にある薬が効かなくなり新しい薬を誰も作らない。それだけでこの数字になるのです。

ただし手遅れではない

公平に言います。これは止められない破滅ではありません。むしろ止め方は分かっています。

荒れた暗い病室に奥の窓から朝の光が差し込む。点滴を受けて眠る子どもと、その手を握り付き添う人。周囲には採血管や薬瓶。破滅の只中にも救いの光がある=止め方は分かっている、を象徴。
止め方は分かっている。ワクチンとケアで、救えるはずの命がある。差し込む光は、まだ間に合うという意味だ。

同じ予測はこうも言っています。重症感染症のケアと抗生物質へのアクセスを改善すれば2050年までに最大9200万人の命が救えると。

耐性菌に効く新薬を定期的に出し続けられればさらに1100万人。

つまり技術の限界ではありません。お金の向け方と優先順位の問題です。FILE.02で見た飢餓と同じ構造がここにもあります。

子どもの耐性菌死はこの30年で半分に減りました。ワクチンが効いたからです。やればできるという証拠でもあります。

「効かなくなる」は宿命ではありません。作らないという選択の結果です。
効かなくなるのではありません。
作るのをやめただけなのです。

抗生物質が効かない時代はもう来ています。すでにエイズやマラリアより多くの人を殺しておりこの数はこれから倍に増えます。けれど原因は菌の進化だけではありません。いちばん必要な薬ほど作れば会社が潰れる。そういう市場を人間が設計したのです。技術は止まっていません。止まっているのはお金の流れと優先順位です。これは静かな破滅です。爆発も通知もなくありふれた病名の影で一人ずつ増えていきます。止め方は分かっています。それでも誰も実行していないのです。

気になる問いを、ほかにも。

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